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1月, 2017の記事一覧

旅ブログ-今年注目の<トリ旅>は?

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2017年が開けて早くも1月が過ぎようとしています。お正月から早速今年の「旅初め」に行かれた方も多いのではないでしょうか。
今年は「酉年」。バタバタ元気に立ち回れて大いに羽ばたける一年としたいところですが、新年一番、「酉の旅」とかけまして皆様、どう解きますでしょうか?今注目を浴びている「旅の酉」をいくつかご紹介しましょう。

●今年また日本を沸かせてくれる?黒い鳥
 一つは「八咫烏」。現在は日本サッカーチームのマークにも使われていますが、もともとは神武天皇の熊野遠征の際、先鋒をつとめたと言われる神の鳥(からす)で、足が3本あるのが特徴です。世界文化遺産として現在多くの外国人観光客を集める「熊野大社」の守り神であり、そのご神号・熊野起請文は八咫烏で文字が作られています。ではなぜその神の使いがサッカーチームのマークになっているか、ご存知ですか?

実は、ここ熊野出身の中村覚之助が中心となって日本サッカー倶楽部チームの立ち上げに尽力し、その志を受け継ぐ形でマークに取り入れた、ということです。現在、熊野古道資料館には関連の資料が展示されています。
日本サッカー協会のシンボルマークおよび日本代表エンブレムの意匠としても用いられ、ワールドカップ前の祈願祭では、日韓大会からサッカー協会が祈願をしていることでも有名です。

自社取材

熊野本宮大社<自社取材>

●各社CMでも引っ張りだこ?あの人の有力な家来の鳥
 また、携帯会社のCMなどの素材で再注目されている「桃太郎」。
日本史上有名な鳥として桃太郎がつれていた「雉」。
この桃太郎の鬼退治伝説、史実を反映させたものなのでは無いか、という説が古来より語られています。
例えば近年アートフェスティバルで国内外の注目を浴びた瀬戸内の島に鬼伝説で有名な「女木島」があります。
ここでは、桃太郎は第7代孝霊天皇天皇の第八皇子稚武彦命であり、その海賊征伐を描いたものが「桃太郎伝説」であり、雉は讃岐(香川県)鬼無地区(高松市北西部)「雉ヶ谷」の住人では無いか、との説が紹介されています。古来、「雉=木地」であったことから、木工を生業としていた「木地族」の人々だったのかもしれません。
現在もこの地は江戸時代から続く盆栽の産地で、香川県産の松の盆栽の約8割はここ鬼無のものだそうです。

ももたろさん一家

ももたろさん一家

●オオトリは、商売繁盛を運ぶあの鳥?
 また、日本各地で開かれる「酉の市」。毎年多くの参拝者を集める風物詩の一つです。
大きな熊手が名物ですが、あの「酉」は何の鳥か知っている方は少ないかもしれません。それはなんと白鳥。
酉の市が開かれる酉の日は征討の途中で病に倒れた悲劇の皇子・日本武尊の命日。その白鳥となって飛び去ったヤマトタケルにあやかり福徳を頂こうと、その戦勝祈願に武具として神前に立てかけられたと言われる熊手に縁起のいいものを付けて飾るようになったとのこと(諸説あり)。
酉の市、と言えば浅草鷲神社がとても有名ですが、大阪府堺市の大鳥大社、愛知県名古屋市の稲園山七寺など全国各地で行われておりその昔ながらの雰囲気を味わうには出かけて見るのが一番でしょう。

浅草 鷲神社『酉の市』

浅草 鷲神社『酉の市』

 さて、お気に入りの鳥は見つかりましたか?
なかなかケイソクが難しい世の中ですが、今年もケッコーな一年となりますように。

旅ブログー「日本遺産」をご存知ですか?

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★「日本遺産」をご存知ですか?
 旅行好きな方は「日本遺産」を知っておられる方も多いと思います。2015年に政府が「外国人旅行者向けに日本の歴史や文化について知ってもらうために選定されたテーマ群」で、2015年現在で全国各地で15件ものテーマが選定されています。
その中には日本の学校制度の確立期に重要な役割を果たした建築群である「近世日本の教育遺産群〜学ぶ心・礼節の根源〜」や、日本古来の文化である鯨漁の舞台となった地を選んだ「鯨とともに生きる」などがありますが、その一つが近年面白い展開を見せて注目を集めているのでご紹介します。

★軍港ロマンを感じる旅
 その一つとは「鎮守府 横須賀呉佐世保舞鶴〜日本近代化の躍動を体感できるまち〜」で、敦賀、佐世保、呉など日本各所に点在する旧日本海軍の軍港及びその関連施設を選定したもので、2015年に日本歴史遺産の選定を受けました。この中には軍旧港の史跡や建物群が含まれるのですが、その中に若い世代に注目を受けている場所をご紹介しましょう。
★今や要塞は空想の舞台
 それは沖合に浮かぶ旧日本軍の要塞・猿島砲台跡です。ここは江戸幕府が江戸湾の防衛拠点として幕末から整備、太平洋戦争時まで使用した要塞ですが、その朽ちかけて緑に包まれた様がアニメの舞台のようだ、との口コミが広がり若い世代の来島者が急増しています。2013年の来島者数は11万人。
2015年4月から入園料を徴収する有料公園として整備されましたが、人気はまだまだ上がりそうです。

東京湾要塞跡(猿島砲台跡)

東京湾要塞跡(猿島砲台跡)猿島砲台は、東京湾内湾への敵艦船の侵入阻止、併せて横須賀鎮守府、横須賀海軍工廠の存在する横須賀・長浦両軍港の防御を任務とした

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★戦艦もインターネットで人気に
 また、構成遺産に含まれないものの横須賀港の歴史を語るに欠かせない存在として、記念艦として展示されている戦艦三笠があります。
 戦艦三笠は、日露戦争当時、旧海軍の連合艦隊の旗艦で時の連合艦隊司令官・東郷平八郎が対馬沖でロシアのバルチック艦隊を破った「日本海海戦」で指揮を執ったことで有名です。退役後はダンスホールなど様々に転用されてきた三笠ですが、現在は当時の海鮮を知る貴重な資料であり、唯一の戦艦として明治期の艤装を再現されています。
艦上では、バルチック艦隊の激しい攻撃で穴があいた鉄板や当時の砲弾の模型、館長室の様子などを見学することができます。その臨場感あふれる船内の雰囲気そのままに、数年前、国民作家・司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」がここを舞台に撮影されたことは記憶に新しいところです。

明治38年、日露戦争時の日本海海戦で活躍した戦艦「三笠」。

明治38年、日露戦争時の日本海海戦で活躍した戦艦「三笠」。

★これから「遺産」をどう広げていくか
 加えてインターネットの影響で若い世代への知名度が上がったこともあり、2015年入館者数は、51年ぶり過去最高の25万人を超える勢いとなり、現在では80歳代という旧海軍の元乗組員と10代、20代のインターネットで知ったファンとの交流という予期せぬ「ウルトラ世代交流」まで行われています。
 日本海海戦の開始にあたり、記念艦となったこの戦艦三笠の上で「皇国の興廃この一戦にあり」と宣した東郷平八郎に、こうした若者の戦跡人気はどう映るのでしょうか。

※写真はすべて横須賀写真ライブラリより。

旅ブログー家康の墓が大阪・堺に実在する!

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平成28年は天下人・徳川家康に真っ向に勝負を挑み「日本一の兵(つわもの)」と賞賛された武将、 真田幸村を描いたNHKの大河ドラマ「真田丸」が大きなヒットを納め、その活躍の舞台となった信州上 田や、最後の戦いの地・大阪などゆかりの地にはかなりの観光客が押し寄せました。
家康の三男・徳川秀忠と激戦を演じた長野県・上田城跡や群馬県・沼田城跡、大阪の象徴・大阪城はもちろん、
幸村自刃の地となった安居神社(天王寺区)、幸村が父と大阪冬の陣まで幽閉された和歌山県・九度山の二尊院 など、今はやりの「聖地めぐり」を楽しんだファンも多かったようです。
 そのなかでファンの間で注目されたスポットが大阪南部・堺市にあります。それは南宗寺という小さなお寺なのですが、
ちょっとした歴史好きでも知らない人が多かったかもしれません。

実はこの寺には、「徳川家康の墓」があります。
家康は駿府城で 亡くなり、日光の東照宮に葬られたのが通説です。
大阪夏の陣で豊臣勢の急襲に慌てて、籠で逃げようとした家康が槍の名手・後藤又兵衛の槍を受け(※1)、ここまで逃げ仰せたものの籠をあけると既に家康は絶命していた、という 話が伝わります。
当然、家康の死は秘されて、徳川軍は勝利するのですが、戦後この寺に秀忠・家光の歴代将軍が参拝していたことが分かり、これが「家康戦死説」の基礎となっています。
後年、幕臣・山岡鉄舟も「ここが家康の墓に間違いない」と寄稿したりしていますが、事の真偽はまさに戦いの余燼の中で定かになっていません。

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※【松下幸之助の名前が墓の裏側に賛同者として記されている】

そんな中、この説を「経営学」や「組織論」から論じる見方が出てきました。
それは、「例えば、家康が真実、大阪夏の陣で没していたとして、果たして歴史は変わったのか?」ということでした。
大方の見方は「NO」。
なぜかというと、1600年、関ヶ原で勝利した家康は3年後、征夷大将軍宣下を受けて江戸幕府を開くのですが、その間にも大名の改易や配置換えなど幕藩体制を堅固にする施策を次々と講 じていきます。
1605年に将軍職を三男の秀忠に譲り自身は大御所となって駿府に退いていました。そのため、家康が例え大阪夏の陣で落命しても、家康が15年の間で築いた徳川幕藩体制が覆るようなことは無かったというのが大方の説です。

つまり家康は長い時間をかけて「自分がいなくても継続できる組織作り」という大戦(おおいくさ)を進めていた訳で、それは現在の組織の継続性や自動性に繋がる、との解釈です。

「名将死して敵を走らす」とは三国志の諸葛孔明の事ですが、家康を倒すことに集中した幸村、自分が居なくなったとしても回る組織を作った家康、という意味では家康に1日の長があった、ということになるかもしれません。
 しかし、そうした時流を名将とうたわれた幸村が知らずに夏の陣に参戦したとは思えず、「負け戦」を承知の上で豊臣への「義」を貫いたとすれば、真田幸村はやはり「日本一の兵(つわもの)」と、敵方武将の嘆息が今でも聞こえそうです。
※1 実際この時に家康が乗っていた籠が日光市の日光東照宮宝物館に展示されていおり、その上下に開いている穴はそのときの穴だという説もあります(幸村の短筒によるとの説もあり)。。

2017年の年賀状はこんなデザインでした

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年賀状2017
さてさて、年の初めの年賀状です。

弊社では毎年、制作チームの中からひとり担当者を選び、
その担当デザイナーがあれやこれやと楽しみながら
(多くは頭を悩ませながら?)
年賀状を制作しています。

制作会社ですから、面白いもの、素敵なもの、
一年のスタートがHAPPYになるものを皆様へお届けしたい!!

…と、言葉に出さずとも、そのような期待がじわじわと襲いかかるプレッシャーの中(笑)
今年は26歳の若き女性デザイナー・小副川(おそえがわ)が制作致しました!

みなさま、いかがでしょうか。
アイデアはもちろん、書体の選び方や色使いなど、
明るくフレッシュな年賀状をお届けできたのではないでしょうか(^^)!

しかしただ一つ…
ただ一つ問題を挙げるとするならば…

大阪営業ふたりのアクションが振りきれていないこと!(両端です)
二人を知るみなさま、ぜひご指導の程よろしくお願い申し上げます。笑

右上にいる弊社キャラクター「アーティー」については
またの機会にご紹介させてくださいね。

それでは
みなさまにとって輝かしい年になりますように。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

新年のご挨拶

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新年明けましておめでとうございます。
旧年中は格別の御厚情を賜り、厚く御礼を申し上げます。

本年も社員一同、より一層の努力をしてまいる所存ですので
何卒、昨年同様のご高配を賜りますようお願い申し上げます。

本年が皆様にとって
幸多き年となりますようお祈り申し上げます。

ART&旭 社員一同

新年のご挨拶

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年賀状2017

新年明けましておめでとうございます。
旧年中は格別の御厚情を賜り、厚く御礼を申し上げます。

本年も社員一同、より一層の努力をしてまいる所存ですので
何卒、昨年同様のご高配を賜りますようお願い申し上げます。

本年が皆様にとって
幸多き年となりますようお祈り申し上げます。

ART&旭 社員一同